中央線鉄道唱歌の歌詞(久米路橋・稲荷山駅)について、鉄道・歴史に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
下車する驛は稻荷山
次は篠井停車塲
信越線の連絡點
さらに読みやすく!
下車する駅は 稲荷山
次は篠井停車塲
信越線の 連絡点
さあ、歌ってみよう!
♪げしゃするえきは いなりやまー
♪つーぎはしののい ていしゃじょう
♪しんえつせんのー れんらくてん
塩尻駅→村井駅→松本駅→田沢駅→明科駅→西条駅→聖高原駅→冠着駅→姨捨駅→稲荷山駅→篠ノ井駅
(信越本線)
篠ノ井駅→川中島駅→長野駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
姨捨駅を下り、長野方面へ

坂をずっと下り、姨捨山(冠着山)を後ろに走る(篠ノ井線の車窓より)(長野県)
姨捨駅(おばすてえき、長野県千曲市)を過ぎると、列は坂道をずっと下へ降りて行きます。
坂を降りてゆくと、姨捨の棚田(おばすてのたなだ)が、窓の右後ろ側に見えてくるようになり、かなり綺麗な景色となります。
そして、徐々に善光寺平(ぜんこうじだいら)に近づいてきます。
長野県の代表的な平野「善光寺平」
善光寺平(ぜんこうじだいら)とは、長野県長野市を中心とした平野です。
長野県では、四つの主要な平野部のことを「~平(だいら)」といいます。
他にも、
- 松本平(まつもとだいら)
- 伊奈平(いなだいら。「伊那谷(いなだに)」ともいう)
- 佐久平(さくだいら)
といった平野があります。
これらの四つの平(たいら)は長野県歌「信濃の国」でも歌われています。
佐久平(さくだいら)は、新幹線の駅名にもなっています。
稲荷山駅に到着
列車はやがて、稲荷山駅(いなりやまえき、長野県長野市篠ノ井)に到着します。

この稲荷山駅の約5kmほど西の山岳地帯に、久米路橋(くめじばし)という、かつてより洪水で恐れられてきた地域にかけられた橋があります。
久米路橋にまつわるエピソード
久米路橋のある久米路峡(くめじきょう)は、今でこそ犀川(さいがわ)の作る美しい峡谷となっています。
しかし、昔から何度も何度も洪水のたびに橋が流されてきた、苦難の絶えない場所でした。
久米路橋のやばい伝説
なので、久米路橋には何と「人柱」という恐ろしい伝説が存在しています。
人柱とは、人間を柱のように建物の中に埋めるという儀式です。
はっきりいって残酷ですが、昔はこれを行うことで建物などが災害から守られると信じられてきました。
久米路橋も、この人柱を埋めることで流されないことを祈願することが行われたのです。
現代では余裕で違法
ちなみにこの行為は現在では普通に刑法199条違反・殺人罪、刑法208条違反・暴行罪であり、もし公務員がこれをやると刑法193条違反・公務員職権濫用罪になります。
まあ、簡単にいえば犯罪であり人権侵害にもなるのであってはなりません。
しかし昔はなかば宗教的儀式のように行われてきたのでした。
久米路橋の「やばい」物語
以下が、久米路橋の人柱の物語です。
村人の「わざと罪人を見つける」行動
昔むかし、犀川の氾濫で、何度も橋が流され、また流域の村人たちは苦しめられてきました。
これに対処するため、人々は人間を柱に埋めることで、洪水を防ぐことに決定しました。
しかし、何の罪もない人を埋めるのは残酷のため、誰か罪人を見つけ、その人間を埋めてやろうとしたのです。
飢えた娘に食べさせるため、父親が食べ物を盗み出す
そんな時、貧しい畑仕事をやっていた父親と、病気に苦しむ娘が暮らしていました。
娘の病気がどうしても治らず、ただ「小豆(あずき)のお菓子を食べたいよ~」と漏らしていたので、父親はなんとかして娘に小豆のお菓子を食べさせたいと願うようになります。
しかし、父親はお金がありませんから、やむを得ずに小豆を盗み出し、その小豆で作ったお菓子を娘に食べさせます。
すると嫁はみるみる回復し、元気になりました。
娘がうっかりばらしてしまう
その後、父親は畑仕事に出ていたのですが、その時に娘は
「小豆のお菓子を食べちゃったよ~」
と人前で歌ってしまったのです。
その小豆が、盗まれたものだとも知らずに。
もちろん小豆を盗まれた側はたまったものじゃありませんので、娘のこの歌のせいで父親が小豆を盗んだ犯人だとバレてしまいます。
父親が捕えられ、娘は悲しみに暮れる
そして父親は窃盗犯として連れていかれてしまい、久米路柱の人柱として埋められてしまいました。
父親を連れていかれた娘は大泣きしましたが、程なくして泣き止み、以後娘はほとんど口も聞かなくなりました。
「キジも鳴かずば撃たれまい」の由来に
それから何年か経ったある日、娘はキジが鳴いた瞬間、猟師に撃たれるところを目撃してしまいました。
キジは鳴くまでは猟師に気付かれなかったのですが、鳴いた瞬間に猟師にバレてしまい、撃たれてしまったのです。
撃たれたキジを見て、娘は
「鳴きさえしなければ、撃たれずに済んだのに。」
とつぶやいたと言います。
これが、「キジも鳴かずば撃たれまい」ということわざの語源になった故事となりました。
大阪・淀川にも同じようなエピソードが存在
なおこれは、大阪府大阪市淀川区の、東淀川駅(ひがしよどがわえき)付近の、長柄橋(ながらばし)にも、同じような伝説があります(どちらが先なのかは、すみませんがわかりません)。
その内容は、長野県の犀川・久米路橋を大阪府の淀川・長柄橋に置き換えたら、マイナーな違いはありますがだいたい同じような内容となります(この説明も余計な蛇足だったらすみません)。
「キジも鳴かずば撃たれまい」という、ことわざ
「キジも鳴かずば撃たれまい」ということわざは、
ということの例えです。
「余計なことを口にしなければ、災いにはならない」ということ
秘密に伏せておけば何の誤解やトラブルを招かざるに済んだことを、余計なことを口走ってしまったせいで問題やトラブルに発展する、といった戒めをいいます。
キジの場合は、鳴きさえしなければ撃たれることはありませんでした。
娘の場合も、小豆のお菓子を食べたことをうっかり言わなければ、父親が連れていかれることは無かったわけです。
何でもバカ正直に話してはいけない、という、昔の人の教訓にも思えますね(^^;)
父親の行動から、現代社会にもつながる要素について考える
もちろん父親の場合も、盗むこと自体はよくないことです。
しかし、病気の娘を助けたかった(しかしお金が無かった)という大義・情状(じょうじょう)もあったわけです。
盗んだ側を直ちに罪人扱いするのは、確かに簡単です。しかし、こうした盗っ人を少しでも減らすような社会にする必要があるわけです。「厳罰化」だけでは、根本的な解決にはならないわけですね。
それは国の社会保険制度だったり、生活保護だったり、まだ日本では制度化されていませんがベーシックインカム(毎月、最小限の給料を国が支払い保証する制度)といった制度なども今後もしかしたら必要になってくるかもしれません。
「貧すれば鈍する(ひんすればどんする)」という言葉があります。
しかし、逆をいえば人間は貧しいなどの理由で切羽(せっぱ)詰まることがなければ、盗みや詐欺などを行わないわけです。
なので人々(特に働くことができない社会的弱者)が、健康で文化的な最低限度の生活を営める社会の仕組みがより必要になってくるのかもしれません(これは日本国憲法第25条にも書かれている通りです)。
皆さんは、どう思うでしょうか。
ちなみにベーシックインカムには反対する人もいるので、もし賛成ならベーシックインカム導入を公約に掲げている政治家に一票を、反対なら反対を訴えている政治家に一票を、選挙に行って(民主主義のルールに従って)投票するようにしましょう。
話がかなり長くなりすみません!!
私は、久米路橋の人柱のエピソードを知って、ここまで色々と考えさせられました。
長野県歌「信濃の国」でも歌われる久米路橋
久米路橋は長野県歌「信濃の国」でも
と歌われています。
「心してゆけ」という風に歌われてますから、 それだけ昔は恐れられて危険な橋であったことが分かります。
篠ノ井駅からは、信越本線に乗り換え 川中島・長野方面へ
善光寺平まで下ってくると、やがて信越線との分岐点である、篠ノ井駅(しののいえき、長野県長野市篠ノ井)に到着します。


ここから信越本線に乗り換え、長野まで向かいます。
ちなみに逆方向の南へ向かえば、
- 上田(うえだ)
- 佐久平(さくだいら)
- 小諸(こもろ)
- 軽井沢(かるいざわ)
さらに群馬高崎、東京方面へと続きます。
次回は、長野市の川中島(かわなかじま)や善光寺(ぜんこうじ)などの観光になります。
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